Journal
2025.5.14
「うわぁ」久しぶりに体重計に乗って声が出ました。
ここ数ヶ月で3キロ太ってしまいました。
ため息とともに体重計を降り、何が悪かったのかを考えました。
野球シーズンがはじまりました。
私の応援するチームはよく負けます。
去年もよく負けました。そこで私は良い方法を見つけました。
「お腹がいっぱいだとなぜか落ち着いて野球観戦ができる。特に劣勢の時」
これは、自分が編み出した良いメンタル調整法だと思っていました。
しかし、体重計の数字が間違いだと教えてくれました。
野球を見ているときに思うのが、これは自分の力ではどうしようもない”プラクリティ”っていうものだということです。
”プルシャ”である観照者の自分はこの状況に巻き込まれてはいけないんです。
サーンキヤ哲学では、「プラクリティ」は、反応する自分を含め「すべての周囲の動き」であり、「プルシャ」はそれをただ見ている「動じない私」です。
「野球を見てすぐに反応をしている自分」を見ている「動じない私」が存在してたりするとヨガっぽいわけです。
この二つが同一になってしまうと生まれるのが「苦しみ」です。
安易に「もう!食べちゃえ!」とどんどんリアクションを取ることは、リアクションの数だけ苦しみを増幅しているだけなのでした。
イライラするかもしれない未来を恐れて、先に満腹になっていたのですが、実はその時点で「未来」に対して反応していたということになります。
すでにプラクリティに巻き込まれていたということなのです。
じゃあ、なにもリアクションしないで心を動かさないで野球を見ろというのでしょうか?
人は感動するために生まれたんだと思うんですよね。
たぶん、今日も心は動くでしょう。
むしろ動くことを期待しています。
だけど私はその動く心も、静かに見ていたいなと思います。
いや、いろいろいいましたが「自分の推しに勝って欲しい」と思っているエゴの塊なんですけどね!
欲望とは快楽に執着することである。(ヨーガスートラ2章-7節より)
では、Namaste!
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